『パールへの道』2:これ、いらない?

予告では「表は経済、裏は美術」なんて堅苦しいタイトルをつけてしまいましたが、ちょっと疲れていたのかも知れませんね。

そんな大それた話ではなく、内容は新聞の折り込みチラシについてです。

「な~んだ、それ」と思われたでしょうか?

でも、そのこと、かなり深いところでぼくの原体験になっているのです。もっと言えば、カードゲームとの驚くような類似が、折り込みチラシにはありました。

 

時代はやっぱり1970年代初頭。新聞の折り込みチラシは、非常に簡素なものでした。上質紙に1色ないし2色の片面印刷。特に、スーパーのチラシがそうでした。

で、お金のないわが家では、チラシの裏面はけっこう大切にされていたわけです。タダで手に入る白い紙でしたからね。

 

キャンバス、と言ってよければ、正にそれがぼくにとってのキャンバスでした。

「これ、いらない?」と、よく母に聞いていたのを今でもハッキリ覚えています。そしてそこに、仮面ライダーウルトラマンをせっせと描いていました。

 

 

一旦、世の中にとって有益な表面が使われたあと、裏面に自由な空間が広がっている。それがチラシの裏に絵を描くことの大きな意味だったように思います。

実はぼく、あまり「サブカルチャー」という言葉が好きではありません。何故なら、メインに対してのサブは、あくまで同じ地平に立っているからです。つまり、カウンターカルチャーではない。

メインカルチャーが有益ならば、無益なカルチャーはバックにある気がするのです。

 

それは、王様と道化の関係に似ています。

王様は表の世界を支配し、そのすみずみにまで秩序をいきとどかせます。が、権力は必ず一定の価値観でかたよるため、あらためて全体のバランスを取らなければなりません。その時活躍するのが道化です。

家臣は王様の価値観にしたがわなければならいため、全体のバランスを取ることはできません。むしろ、ドンドン価値観をかたよらせてしまいます。サブカルチャーって、やっぱりメインカルチャー側にいるわけです。

 

ただ一人、道化だけが王様に反抗し、世界全体をつりあわせます。王様にさからい、からかうことで世界全体をしょって立つ。王様が表の中心なのに対して、道化はその真裏にいるわけです。道化、カッコイイではありませんか。

表に対する裏って、つまりはそういうことなのです。

 

 

さて、裏面がいかに気楽でノビノビとしたものであったかは、画用紙と対比するとさらによくわかります。

両面が白い画用紙に何かを描く時、ぼくはずいぶん緊張したものです。世界に対して、新しい何かをつけ加える怖さがそこにはありました。ノートでも、表面に書く時の方が緊張感が高いですよね? それに対して、裏面にはある種のなごやかさがあります。

 

実は、「新」という漢字の意味はけっこう深淵です。

「辛」は先のとがった道具で、これを投げて切り出す木を選びました。「斧」でその木を倒して、新しい木を手に入れたわけです。で、何を作ったかというと、位牌。死んだ人の名前を書きしるしておく木の板ですね。一番「見」る位牌は父母のものなので、そこから「親」という字も生まれました。

 

つまり、新しいというと何だかめでたい感じがするのですが、世界に新しいものをつけ加えるのって、死んだものを増やすことなんですね。敢えて言えば、殺すこと。なるほど、緊張するわけです。

「王の血染めのマントは三代で白くなる」という言葉があります。初代の王様というのは猛々しく、そのマントは血塗られています。その激しさが薄まるには三代かかるという意味です。

 

もちろん、そんなこんなはずっと後になって知りました。知識としてですね。

オンタイムで感じていたのは、「裏の方が気楽だなぁ」って印象くらい。それとて言葉になっていたわけではありません。習字の一筆めだったり、お絵描きの色塗りだったり、両面が白い紙への最初のアプローチは何だかチクチクして、居心地が悪かった。その裏返しとして感じていたわけです。

 

 

最後に、チラシとカードゲームの類似について触れておきましょう。

それは、片方の面が全部同じで、片方の面が異なるということです。

呼び方は表と裏で逆になりますが、チラシの印刷面(表)とカードの裏面は同じ絵柄で、公に開かれています。みんなが同じものを見るわけです。それに対して、チラシの白紙面(裏)とカードの表面は、個人に向けて閉じています。

 

だからカードゲームが好き! ってのは言い過ぎですが、表と裏がそれぞれに役割を持っている状態が、ぼくには安心できるみたいです。

どちらか一面だけが突出すると、落ち着かないんですね。

 

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

こんなに長い文章を書くつもりではなかったのですが、書いているうちに止まらなくなってしまいました。聞かれたことに答えるのって、何だか楽しいものですね。

さて、次回は「見ればかけるよ」です。